『ホステル(原題:Hostel)』, イーライ・ロス監督, 2006年
春といえば行楽シーズン。特に学生の方は卒業旅行で大いに盛り上がる季節ではないでしょうか。憧れのヨーロッパへ足を運んでみるのもいいかもしれませんが、そんな気分を見事に吹き消してくれるのが、ゴア表現満載の血みどろソリッド・シチュエーション・ホラー、『ホステル』です。
メガホンを取ったのはホラー映画界の寵児と目される新進気鋭の映画作家、イーライ・ロス。タランティーノ監督にその作風を評価され最近では俳優業にも精を出している彼ですが、学生時代は『レザボア・ドッグス』のパロディ『レストラン・ドッグス』という、レストランの中が血まみれになるだけの映画を製作し、インテリ学生たちの中では異端児的存在だったようです。本作にもその奇怪っぷりが存分に発揮されています。
犠牲となる主人公はヨーロッパを旅するアメリカン人大学生パクストンとジョシュ。道中に出会ったアイスランド人のジョッシュ(なんと既婚者)と共に各地で足の向くまま気の向くまま、欲望を満たすべく夜の街へと繰り出していきます。というのもこの3人、人語に落ちない好色という共通点があり、それが彼らを結びつかせたとも言えるでしょう。まさに運命共同体です。そして運命を共にした彼らは当然のように、悲劇的な展開へ向かって突き進んでいきます。
スロバキアのホステルで3人が出会った美麗な受付係と、相部屋となったセクシーなヨーロッパ美女。無論彼らは鼻の下を伸ばし、一緒にスパに入り夜はクラブで踊り更け、部屋に戻れば事に及びます。まさに酒池肉林の世界。しかしこれがハニートラップでした。
お酒の中に睡眠薬を入れられ昏睡した男たちは、次々と謎の廃墟へ拉致されます。そこは狂人たちが巨大な刃物や拷問道具で人間を生きたまま解体する恐怖の館だったのです。それにしてもこの廃墟をおどろおどろしく表現する映像がすごい。OPから排水溝へ流れ落ちる血糊がアップにされたと思いきや、殺戮シーンでは不潔な部屋の壁や床、鈍く黒光りする刃物や工具など、人間を視覚的に不快にする術を熟知した人間の為せる崇高な嫌がらせの連続です。ドリルが人体に喰い込むシーンもクローズアップでしっかりと映すあたり、監督は相当なサディストでしょう。
2人の仲間を殺害されたパクストンは、同じく拷問され殺されかけていた日本人女性のカナと命からがら脱出しますが、彼らを待ち受けていたのは残酷な結末でした。さすがにこれだけで終わってしまうと胸のすく思いがないと監督も判断したのか、パクストンが変態外科医崩れの男に復讐をとげるシーンが用意されています。
仲間を惨殺され怒りに燃えるパクストンと、不意を突いた攻撃に驚く「エリート・ハンティング」会員の殺人鬼。パトリクスは仇を討つべく壮絶なリンチを加えた後、彼にとどめをさします。
残酷な犯人は裁きにあい、パクストンは帰路につくのでした。「めでたしめでたし」という文句がしっくりくるエンディングです。近年のソリッド・シチュエーション・ホラーと言えば『フォーン・ブース』然り『SAW』シリーズ然り、犯人がハッキリしない、あるいはモヤモヤが残るような後味の悪いラストが特徴的です。その点イーライ・ロスは、『イングロリアス・バスターズ』でナチ将校の頭をバットでこれでもかと言わんばかりに殴打して一種のカタルシスを観客に与えるなど、なにかとサービス精神旺盛な作風です。悪を野放しにするなど彼の映画哲学に著しく反することなのでしょう。観てもらうからにはスッキリした気分で帰ってもらいたい、ホラー映画としての予定調和を大切にするところに監督の優しさが伝わってきますね(?)。
しかしなぜ、この廃墟に棲む狂人たちは無実の人々を惨殺しているのでしょうか。そのヒントは拷問室からの決死の脱出に成功したパクストンがロッカー室で見つけたこの名刺がヒントになっています。
「エリート・ハンティング」と記されたカードの裏には
ロシア人 5,000$
ヨーロッパ人 10,000$
アメリカ人 25,000$
との表記が。どうやらこの廃墟に棲む狂人たちにはある組織が関わっているらしく、サディズムを拗らせて殺害願望まで持ってしまった危険人物たちから金を取り、さらってきた人々を彼らの生贄にささげるという会員制殺人クラブのようなシステムのようです。スロバキアへへ来るまではヨーロッパ諸国で散々買春行為をしてきた男たち。この館は、そんな不埒な男たちが客ではなく欲望の対象として売られる側になる可能性をほのめかしているのです。捕獲され、まさに殺されそうになっているジョシュが「助けてくれ!金はいくらでも払う!」と命乞いをするも、殺人鬼は「金を払う?金を払うのは俺の方さ、俺はお前を買ったんだ!」と嘲笑ってこれを一蹴。彼らの命はもはや単なる商品なのです。日本にも古くには「男の極楽、女の地獄。ここは遊郭、江戸吉原」という有名な文句がありますが、体であろうと命であろうと、常に損な役回りをするのは売られる側、ということなのでしょうか。
残酷描写が看板なのはもちろんですが、本作の持つ恐ろしさの一つとして、この殺人クラブが地元の警察を買収していることを窺わせるシーンが挙げられるでしょう。あからさまな体制の腐敗の描写は、やはり東欧諸国が未だに持っている閉鎖的なイメージがあるためではないでしょうか。つまり現実に起こり得なくもないという妙なリアリティが介在しているため、この恐怖物語には説得力があるのです。怠慢な警察と見知らぬ土地、特に海外の雑多で未知な地に対する恐怖心は、しばしばありもしない事件を作り上げてしまいます。特に「オルレアンの噂」と呼ばれる都市伝説はこの映画とかなりの共通点を持っているように見受けられます。
オルレアンの噂とは?
1969年5月、フランスのオルレアンに流れた女性誘拐の噂の事です。有名な都市伝説の一つで、場所や結末などのディテールは違えど、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。その概要は
この街にあるブティックで、若い女性が地下にある試着室に入ると、催眠性のある薬品を嗅がされたり薬物を注射されたりして、前後不覚になったところを誘拐され、外国の売春宿に売り飛ばされていく
というものです。これに類似した話「だるま女」には結末があり、外国へ売られた女性は四肢と舌を切り取られ生きたまま見世物小屋におかれる、というもの。どちらも被害に逢う場所は外国であり、だるま女の場合はその国がアジアである場合が多いようです。混沌とした場所、というイメージが人身売買の恐怖とリンクして物語を作り上げたのでしょう。
興味深いのは、オルレアンの噂が広まるにつれ、もう一つの要素が加わったということです。それは「この誘拐事件に関わっているのはユダヤ人である」というものです。これはヨーロッパにおけるユダヤ人に対するネガティブなイメージが生んだ可能性もありますし、ネオナチや反ユダヤ主義者による陰謀説まで囁かれるなど、多くの謎を残しています。何の因果か、本作を監督したイーライ・ロスはユダヤ系アメリカ人です。映画製作が始まる前年にNATOへ加盟したスロバキアの政治的不透明さを指摘するような物語設定ですが、実はそのネタの本家は自分の民族だったというギャグなのかもしれません。
それにしても、よくこれだけスロバキアに対するネガティブ・キャンペーンのような映画を作れたものです。スロバキアの観光庁から苦情は来なかったのでしょうか。イーライ・ロス監督の今後の仕事に支障を来すことがないよう、ファンとしてはただただ祈るばかりです。